昭和-戦争体験者と話して-_1009


法律ノート 第1009回 弁護士 鈴木淳司
May 30, 2016



 

昭和-戦争体験者と話して-

今回は、一回皆さんからのご質問にお答えするのをお休みさせていただき、思い出話をご紹介させてください。

 

米国オバマ大統領が広島に出向いたことがかなり日本ではニュースになっていたようですね。

大統領のスピーチを聞きながら、子供のころ母からどのようなことでも良いから世界平和を願う姿勢を忘れないで欲しいと言われたことを思い出していました。平成生まれの人達がこれから世界を背負っていくわけですが、一方で第二次世界大戦を経験した先人は世を去っていきます。
私も弁護士になった当初にお付き合いさせていただいた戦争経験者もだんだん少なくなってきている現状です。

私自身は戦争を経験していませんが、昭和初期を生きてきた方々からは、直接色々な話を聞くことができました。

人生を聞くのも弁護士としての醍醐味ですし、自分の糧になっていると思います。オバマ大統領のスピーチを聞いていて、色々思い出して胸が詰まってしまいました。

 

 

老人ホームに入居されているある女性は、身寄りがあまりありませんでした。
他界した夫の家族が面倒を見ていましたが、血縁関係はありません。その女性の相続対策で話を伺いました。彼女はいわゆる「戦争花嫁」と呼ばれる一人で、戦争が終わる頃、米国軍人と結婚しアメリカに渡ってきたそうです。

私がお話しを伺ったときには、日本にいる親類とも疎遠になり、日本語での話し相手も、あまりいない様子でした。

仕事の話が一段落すると、彼女はなぜ英語もあまり話しができない彼女が渡米を決断したか、ということを語ってくれました。彼女は、女学生のころに学徒動員でしょうか、女性でも駆りだされ工場で働いていたようです。その頃は普通だったようです。

 

大阪に住んでいた彼女は空襲に遭い、かなりの怪我を負ったそうです。耳も一方は聞こえない状態になったとか。
そこで病院に運ばれたのですが、ちゃんとした処置がしてもらえない。もちろん患者でごった返しているのですが、とにかく薬や医療用品が不足したわけです。

診察を受けると、医師が適切な処理ができないことに臍を噛んでいたようですが、涙ながらに、「今後生きるためには、アメリカ人と結婚して、適切な診療を受けるしかない」と言われたそうです。それが渡米のきっかけになったそうです。戦争に翻弄されても、最後まで夫の墓守をされていました。負った怪我のせいで、子どもを生むこともできませんでした。

私は話を聞いて涙を堪えるのが精一杯でした。

 

かなり前に、ある銀行の支店長をされていた白髪の方と酒を酌み交わしたことがあります。

背は大きくありませんが、いつも背筋がぴんとされていました。所作も無駄がなく、話す言葉も考えて話されていて、優しさのなかに厳しさもある口調に実直さを感じました。

何度か呑む機会はあったのですが、お話しをしていて、ずいぶん日米関係の中枢に関わっていた方なのだな、と思いました。読者の皆さんも御存知の通り、私は呑兵衛なので、ある宴で、その白髪の老人と私はかなり長時間話しをしていました。その老人は、私がそれまで聞いたことのない
「若いとき」の話を遠い目線で話し始めました。戦争での話です。

その方は、二重国籍だったそうですが、日本軍として戦争に参加したそうです。そして、終戦時にはシベリアに連れて行かれたという話をしてくださりました。私は山崎豊子の小説に出てくる主人公の壱岐正程度しか知らなかったのですが、実際にシベリアに抑留されていたという方からの話をはじめて聞ききました。

酒が入りながらも、背筋を伸ばし淡々と話しを続けるこの老人の心に抱く深淵な何かに目をそらすことができませんでした。

二重国籍があったので、米国側に付くこともできたが、家族の都合で日本側に付いたこと。日本側についても、米国帰りだと、言われもない偏見があったこと、シベリアでは寒さだけではなく、飢えや病気などが蔓延し、周りの日本人がかなり亡くなっていったこと、シベリアから戻ってき
ても、結局アメリカに戻らざるを得なかったことなど、一人の人間が通ってきた道として、衝撃を受けたことを覚えています。この方も戦争に翻弄されて、心に傷を負ったわけです。

 

 

たくさんこのような戦争関連の話を聞かせていただける機会が今まではあったのですが、今後は減っていくのでしょうね。

昔の歌でいうと「戦争知らない子どもたち」だけになっていくわけです。このような戦争を体験してきた人たちが国を作ってきたから我々が存在するわけです。これは忘れてはいけないと思います。

よく勝戦とか敗戦とか言いますが、長い目で見ると、結局たくさんの人を巻き込んで戦争をすれば、両方負けなんじゃないかと思います。訴訟をやっている弁護士が何を言っているんだと言われそうですが。

戦時中は砂糖を兄弟で分け合ったと母から聞いていますが、今ではカロリーオフ、糖質オフですね。時代は変わっていくわけです。

でも、戦争をしらない我々は先人から、そして日本が昭和に通った道から学んでいかなければなりませんね。

 

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